技の“廣島親方”
日本職人名工会の為に特別仕様で対応。
一般的なお土産用の櫛を見る機会があれば見て下さい。“本柘植”と書いた小さなシールが貼ってあります。その殆どがシャムと言う柘植に似た全く別の外材です。柘植材の原価から考えても2〜3千円で作れるはずがありません。
当然、シャムを使う場合には量産であり機械を使っての手作りとなります。
鋸を使って手で挽く作りでは手間代がかかり過ぎます。
しかし梳き櫛のように手挽きでしか出来ない技もあります。
テレビ等を見ていると、かなりいい加減な知識で語る人達も出ており、昔の技を継承している職人の数が少なくなってきています。これは文化の衰退です。
親方にも、若い床山(相撲の髪結いさん)から「同じ物を作って欲しい」と壊れた櫛を送ってきたそうです。これを見て驚いたのはシャム材の機械削りの櫛であり、出来の悪いものでした。“同じ物を作れ”と言う感覚を疑いイライラしたと言います。「こんな櫛を売っている商人も、そして職人も実に情けない」と言うことですが櫛で有名な産地のトップメーカーのもので実に嘆かわしいとのことでした。親方の若い頃の歯挽きの腕は凄いものでした。
熊野神社に残る国宝の飾り櫛に挑戦したものを拝見した。国宝は9cmに150本、親方のは7cmに126本、10cmに160本という櫛である。
今は年齢から目の問題もあって出来ないと言う。当時の同業者が“この技に挑戦をしたが出来なかった”と胸を張る。
柘植櫛を使い“髪が美しくなった”“使いやすさに驚いた”と当会にメールが入るが 当然のことです。多くの人に“江戸の道具”を再認識して頂きたい。
江戸櫛には二種類有ります。一つは武家御用の出髪(でがみ・出かけて行って髪を結う職人)の髪結いさん(かみいさん)専用に売っていた腕の良い縦櫛職人(日本髪用の櫛)、二つめは、現在一般的に有名な櫛の販売店ので、町場の女性達用の横櫛を販売していた中での職人です。
廣島親方のルーツは、名門“武蔵屋”を本家とする縦櫛の技を継承する一族でした。当代の親方の二〜三代前の廣島親方が武蔵屋に修行に入っていると言います。昔は他人の飯を食えと言う事で同業者のところへ修行に出されるなどはごく普通のことでした。御蔵神社に島の柘植材業者が取引先を書いた奉納板の写真を見ると“廣島”と言う文字が確認出来ます。
■ 歴史と櫛の材
古墳時代の櫛は、竹を割って作ったもので、時代と共に現在の櫛のようになりました。平安の頃の櫛は、柘植よりイスという木を使っています。現在も皇室などにイスの木を使う習慣が残っています。柘植を使い始めたのは推古天皇の頃です。日本の木櫛の原料はいくつかありますが、硬い材料でミネバリ(斧折れカンバ)と言うカバの種などを使います。カバの木の特徴は白樺と同じように皮が横に剥がれる木肌で、お六櫛と言われる櫛の材として有名です。
しかし美しさでは柘植にかなう材は見当たりません。みづめ桜と言う木も、材料が手に入らない時代に使われました。しかしこれも桜ではなくカンバ(カバの種)です。イスは材料として余りに少なく一般的には使われていません。 |