職人の住む町
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木目込み人形と衣装着人形を作る幸一光の号で有名。子供の時から人形の中で育ち、3代続いてきた職人の血か、大学時代には美術を専攻したが、一見方向性の違う感じの前衛的彫刻をやっていた。しかし、やがて内なるものを捉え表現する感覚は、繊細な観察力と相まって 人形作りに活かされていく。
単に美しい、可愛いだけのものでは飽きられてしまうだろうし、強く見せ過ぎても、うるさくなってしまう。長く愛される条件が必要である。個体に漂う空気と雰囲気を重視すると言う。又、商売として成り立つことも大切でり、どんな形で売れていくのかも気になる。
今の時代に“伝承する技”と努力した結果が理解されるかが問題という。その為に努力をしている。雑誌社などの取材では、独自性とか個性とかこだわりとかの言葉を使い、簡単に片付けられてしまう。職人とはこだわりではなく置かれた状況下で最大のクオリティーを引き出す、自身の納得との勝負である。人形作りは共同作業であるが、その銘の技が作品の個々に見えなくては意味がない。しかも新技術を入れれば売れると言ったものでもない。伝承とは伝統を重んじながら時代の中での自分らしさも内包していなければ残っていかない。その意味で、基本をしっかり見据え、新しさに挑戦する松崎氏の人形は、沢山の賞や皇室の御用など容易に理解できる。益々今後も期待したくなる親方である。

  大正9年、下谷竹町にて創業しました。3代目です。生まれた時から人形を作る音と匂い、そして職人さんの中で育ち、手伝いは子供の頃からさせられていました。しかしこれを自分の仕事にしようといった気持ちはありませんでした。学生時代は彫刻を専攻し、前衛的な物を専門に勉強していました。その間も忙しい時は手伝ってはいました。様々な見聞を広めていたことがきっかけで伝統の仕事の大切さを感じ、私も参加するようになりました。その割りにはのめり込めず、淡々と作業を行う日々を過ごしていたようです。強い自覚を持ち、真剣に取り組み始めたのは結婚もして30歳の頃からでした。大作で京都文化博物館から依頼された平治物語絵巻の信西の巻を元にした武者行列、人形54体、間口6mの作品もそのひとつです。
それからは大きな賞を沢山頂きました。又、最近は 皇室のおめでたに宮内庁へ毎回特別な人形をお作りし納めています。現在の私は原点を今一度見つめ直す意味で木彫りの勉強を最も尊敬する先生に付いて勉強しています。
  私の人形は和室にも洋室にも合うもので、古い技法の中にモダンさが空気のような感じで伝わる物を心掛けています。シンプルであることがその為に必要です。
 
  職人として常に創造的である事を心掛けています。
テーマとか理想は高く掲げていくことが重要ですから、常に観察力を持って好奇心を働かせ本物を見ます。それは芸術品を見るといったことだけではなく生活の全てや人間観察、動き、姿、部分的美、精神面と関連する心と動き、表情なども大変重要なことです。それは自分自信を見つめる事にも繋がっているようです。
   

 

職人名 松崎光正(まつざき みつまさ)
雅号又は銘 幸一光(こういっこう)
生年月日 昭和28年11月3日
職種(種) 江戸木目込人形
作品(アイテム) 木目込み人形、衣装着人形
技数(積)
次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間
顔は、何十年経験を積もうと、出来ない人は全く出来ません。持って生まれたものに大きく左右されると思います。
技の種類や工程
粘土で全体のイメージを考えて原形を作ります。原形から二つ割りの型(この型をかまと呼びます)を抜きます。桐の粉にでんぷんを加えて粘土状(これを桐塑...トウソといいます。)にし、このかまで形をとります。外したトウソを乾かしてヤスリやヘラで補正します。
次に呉粉(牡蛎やはまぐりの粉)をニカワ(ゼラチン質の糊)で溶かし塗ります。白さを出す事と全体を引き締めます。木目込みの筋彫りをし布生地を貼ります。布の流れを計算に入れ、綺麗に線が出るように神経を使いながら筋彫りをした溝に糊を入れ、裁断済の布をこの溝に木目込んでいきます。この技は出来映えの美しさに影響するものです。ぴったりと全ての生地を木目込んで胴体は完成です。別に胴体と同じ技で作られた頭を胴体と組み合わせます。顔は面相書きといって面相筆で一体づつ手描きで行います。これは私の担当で、人形の出来映えを左右する重要な工程となります。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


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