職人の住む町
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宝船熊手の伝統は手描きの手法である。江戸から伝わって来た代々の技法は、現在吉田さん一人。啓子氏の旦那さんは鳶職で大変器用な人、しかも絵がうまかった。そこで今まで続けて来た熊手を本格的に始めたと言う。
販売は酉の市の3日間、昔は売れ残ったこともあったが土産物店等に流す事などはしない。3日間で1700本以上売ってしまう。一家総出である。もちろん鵬神社以外でも売らない。
地方からの注文は予め受けておき酉の市の日の朝に発送する。この発送は代々続けて来た家訓に当代が加えた決まりである。酉の市が終わると来年の準備が始まる。娘の京子さんは、こうした伝統と技法を手伝っていくうちに継承する意義を感じて来たという。

  戦前は七福神を中心にした手描きの宝船熊手は各家独自の筆法で神社の関係者が沢山作っていた。
吉田家は代々の鳶職。従って鵬神社の祭礼には門松から始まり初酉にまでかかわり合ってきた。もちろんこうした仕事は神社とのつながりがあり、他から入り込めません。しかも一旦離れてしまうと復帰は難しく、戦中はおじいさんが何とか店などを出し続け、繋いできました。
戦後宝船熊手を本格的に始めました。主人が亡くなった時、主人と神様に対して、はたして私に面相が書けるのか。どうかお願いしますと祈ったこともあります。(ちなみに今の熊手は成形された樹脂物で一見豪華には見える。しかし、縁起物を一年かかって一枚一枚作っていく伝統技は本物であり、作り手の心のこもったものである。)
  全て手描きの宝船熊手である事と、50年以上続いて買っていただけるお客様が自慢出来る特徴と思っています。
料亭など飲食関係、歌舞伎界、芸能界、芸術家、デザイナー、そして地方からわざわざ出向いて頂ける多くの方々に毎年御会い出来るのが楽しみです。
 
  昔からの形を変えない。先代の絵と同じ様にと心掛けています。
余談ですが、酉の市の当日、店で一度だけ弁天様が2枚付いている間違いに気が付きました。何人もが見ていたのに見過ごしてしまった間違いでしたが、お客さんが何かの縁だからどうしてもほしいとのことで、売れないとお断りしたのですが、出合いの運命を感じるとの事で買っていかれました。
  伝統を守っていくことですが娘がいます。心配はしておりません。

 

職人名 吉田啓子(よしだ けいこ)
吉田京子(よしだ きょうこ)
雅号又は銘  
生年月日 大正10年5月9日(啓子氏)
職種(種) 宝船熊手
作品(アイテム) 宝船熊手 他
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
全工程をやれるとなると10年では難しいと思います。
一番難しいのは伝統を把握し手馴れることなんといっても面相(顔描き)です。七福神の型は抜きで彩色と絵は民画筆法の独自の手描きです。熊手の中心、見押し部分(船の先端)を中心に七福神の左右の目線が違います。全ての目線を中心に集めた面相となります。従って描き分ける必要があり、昔からそうして来た技法です。しかも熊手のサイズに合わせて絵一つひとつ刺す位置まで全て決まっています。
技の種類や工程
主に竹割り、下絵の型抜き、色付け、面相、外塗り、刺し込み、バランスなど伝統を損なわず様々な附随する工程があります。サイズは2寸、3寸、5寸、6寸、8寸、尺、尺2、尺3。 熊手に刺す竹串は12月に取って正月を迎え青いうちに割って作ります。何事も縁起と決まりを重視します。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  


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