職人の住む町
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洋鋏が各地で見よう見まねで造られ始めた明治初期、刀鍛冶を廃業した立野平左衛門(平作)が、五井海岸で錆び付いた散髪鋏とおぼしき洋鋏を拾い、これを研究改良し植木鋏などを造ったことが上総型(かずさ)の鋏の起源であります。同様に江戸鋏の開祖は、吉田弥吉同様に廃刀令以後、メリケン型の鋏を模倣し、改良を加え、現在あるラシャ切り鋏と全く同じものを造ったことが起源であります。弥吉と時を同じくして、新しい文化に触れ、懸命に鋏の研究をした職人がいたことは感無量であります。
開祖、立野平左衛門(平作)の弟子であった大野政次郎から政太郎、正徳と続き、当代は開祖から数えて5代目、上総鋏の直系とも言える親方です。開祖、立野平作の鍛錬所があったのは、当代の親方が住む市原であり、同じ場所で、当時のままの鋏の形と製法と、代々の親方達の知恵を貯えて、上総鍛冶の流れを色濃く当代親方に伝えています。
今尚骨太な精神をもって、周辺の喧噪に巻き込まれる事なく、明治から変わらない鎚音を響かせています。正に職人の中の職人と言える親方であり、職人としての心や、その味の全てが鋏を通して認識出来る。これは鍛冶の仲間の声でもあります。
■ 歴史 創業明治7年。

  昭和25年、中学卒業後すぐ工場に入れられ、53年過ぎました。修行時代はよく、地鉄(ハシ)を掴む道具を投げられたり、鉄槌を投げられ叱られました。
  私の作品の特徴は鍛造で作ること。
 
  手抜きをしないこと。座右の銘は「誠」。
  仕事に飽きないこと。

 

職人名 大野正敏(おおの まさとし)
雅号又は銘 政平(まさへい)
生年月日 昭和10年5月2日
職種(種) 上総鋏
作品(アイテム) 植木鋏、花鋏、盆栽鋏 他
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
5年。
技の種類や工程
地鉄の切断、鍛造、研摩、仕上げ
現在の立場(役)
次代 他  
   


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