職人の住む町
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加賀百万石の華やかさ
“芸者が育てた金沢の傘”

金沢は加賀百万石 前田藩の地、外様でありながら日本一の禄 高を誇り、全国から多くの職人を集め“優れた技の宝庫”で ありました。和傘も華やかさにおいて例外ではなく、芸者衆 が毎年お正月に傘を新調し“競い合う習慣”があり“職人” の見せ場でした。
行き交う芸者衆の傘は白い雪に映え絵を見るようであったと 推測します。
芸者街は、「ひがし、にし、主計」とあり、茶屋街らしい姿を とどめている場所が現在もあります。加賀格子と呼ばれる
“繊細なベンガラ格子”も粋な文化の証です。
松田親方の修行時代には“傘職人”が沢山おり、100軒以上 あったという事ですから、前田公の時代から昭和初期までは さらに華やかであったと思います。
現在は 松田親方一人になりました。残念ですが弟子はいませ ん。華やいだ歴史を残す“加賀の傘”ですが何もかも自分で 作ることになり、その努力はさぞかし大変であったと思いま す。様々な挑戦をする姿勢は加賀傘が競い合ったなごりであ り、加賀の職人の歴史と誇りであります。

■ 歴史
前田家の藩制時代から盛んになった。


  傘職人の親方であった父のもとで、12才の頃から“各工程を受け持つ職人達”に習い始めました。父の代に職人達のストライキという事態が起こり製造がままならなくなったことから私には全工程を学ばせたと思います。そのことが幸いと言えるのか、ともかく金沢では最後の一人となりました。
 

私の修行時代には、まだ市内に100軒からの和傘製造業者がおり、技やデザインを競い合っていました。この状況を経験したことは私にとって幸せでした。常に創意工夫をすることを身に付けたようです。今でも新たな挑戦は楽しいことですが、結構苦しみもあります。

■ 特徴
紙の質は傘にとって重要な要素です。多くの産地はありますが私は富山の五箇山のコウゾで作った昔ながらの和紙を使います。
華やかな色彩は、昔から芸者衆が毎年お正月に和傘を新調し華を競い合う習慣がありました。又、華やかなだけではなく、豪雪と強風に悩まされる土地柄ですから金沢の傘は丈夫に作られています。

 
  「母ちゃんに惚れろ、仕事に惚れろ」これで上手くいきます。
  あまり言いたくないのですが、父が仕事をやめた時に、元従業員から私に対して「お前の父ちゃんから学んだことはこの先、何の役にも立たない」と言われたことがショックでした。時代が変わっていくので仕方ないとは思いますがやはりトラウマになっているようです。従って弟子はいません。

 

職人名 松田 弘(まつだ・ひろし)
雅号又は銘  
生年月日 1924年6月19日
職種(種) 和傘
作品(アイテム) 和傘
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
約に立つようになるのが5年、全行程を一人でやらなければならず完全な技術修得は努力が必要です。
技の種類や工程
骨削り・骨を曲げる・骨と柄の取付・ろくろ・はじき・染色和紙貼り・干し・たたみ・油ひき・千鳥がけ・漆・印書き
実績 手書き友禅師・日本画家・九谷絵師との共同作品。
幻の「文化仕上げ」の復刻は輪島蒔絵絵師の協力を得た。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
     


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