職人の住む町
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羽子板には二つの流れがあるように感じる。一つは昔の技法に固執しその中で、美しさを追求する方法、今一つは時代のニーズに合わせて美しさを追求していく。氏の技法は前者で、しかも一般的な羽子板製作は分業ですが、納得できる羽子板を追求する為、息子と一緒に全てを作る。昔の技法とは、詰め綿をふんだんに使い厚みがあり、丈夫に組み込む為に糊代を十分に取る。したがって今風の薄い平板な物とは異なり、立体感があり飾り映えがするものとなる。
息子さんは沢村光紀、歌舞伎役者(女形)であり、歌舞伎文字の名人でもある。その技術を持って父を手伝い、面相(顔)を書く。ともかく本物の押絵羽子板師は歌舞伎を知らなければ作れないとまで言われ、現在この形を伝える数少ない職人である。

  昭和25年、加藤勝敏に師事する。当時は年季奉公制度がまであり、私の場合は約7年位で独立する。あの頃、浅草から芝(愛宕山)の羽子板市へ馬車で、銀座通りから昭和通りへ行ったこと等夢の様です。
  私の場合、立体感のある押絵作りが特徴です。
 
  自分でできる範囲、誠をこめる事。創造する芸術。
  伝統を守る事も大切ですが、そこから生まれる新しい物を作り出すこと。

 

職人名 原島秀夫(はらしま・ひでお)
雅号又は銘  
生年月日 昭和9年3月29日(秀夫)
4月10日(康嘉)
職種(種) 羽子板
作品(アイテム) 豆板、羽子板、押絵額等
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
約10年、歌舞伎について全般的によく調べる。かつら、衣裳、小道具、役柄、舞台、面など分からない事、できない事。
技の種類や工程
ひとつの作品の工程は、作品によって違う。50〜60工程以上ある。
現在の立場(役)  
次代 他 原島康嘉(はらしま・やすよし)
   


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