日本の技博物館

刃物記念館

玉鋼と砂鉄

玉鋼は、タタラによって作られる和鉄で、優れた部分を小割りし、これを刀剣の原料として使用します。玉鋼の原料は砂鉄です。砂鉄は播磨や備前系の赤目(あこめ)と出雲系の真砂(まさ)が主なものです。砂鉄がとれる場所としては山、川、海などがあります。
真砂が鋼に向き、赤目は流れが良い為、鋳鉄などに向いているようです。タタラで出来た鉄の固まりはケラと呼ばれ、玉鋼と不純物が混じった垢金の大きな固まりです。

 玉鋼のアップ

古来の製鉄技法・タタラ製鉄とは

基本的にはタタラとは鞴(ふいご・送風装置)を使う製法です。タタラ製鉄とは砂鉄を原料に、生焼け状のクヌギ系などの雑木からタタラ炭を作り、これを燃料にして、強力な鞴を使い、和鉄を溶かして生産する日本古来の製法です。全て炭化した炭を使わないのは、木炭の燃焼力、炎の勢いが火力に良しとされ、又、燃える時のガスなどが、砂鉄が鉄になっていくときの分子的変化に関与するとの事であります。
現在は技術革新があり、安定感のある操業が可能となった為、普通の炭を使うケースも多いようです。又大切な事は、炉自体の土も非常に重要です。土は高温で溶けながら不純物を引き出すなど鉄によい変化をもたらすので吟味して使います。操業は3日3晩不眠不休でタタラ師が立ち会います。タタラ師の親方を安来では村下(むらげ)と言います。一回の創業を一代と言い、炉の土壁は燃焼している部分の鉄に溶けて喰われて痩せて一代で壊れます。
砂鉄は木炭と砂鉄を交互に入れます。昔は始めに扱いの良い赤目を使って炉を暖めて馴染ませ、ケラの底部を作り、その上から真砂を入れてといった形が多かったようです。
赤目砂鉄は流れるように溶けるので、炉全体の温度を安定させる目的で使われました。 ケラの状態は燃料が炭である為、真砂砂鉄は完全に解けると言うより滴下するような状態で下がっていくと言った感じです。完全にどろどろになる感じではなく、冷えた状態で、鉄と言った感じよりコークスのような、溶岩のような感じで、叩いたらザクッと崩れて飛び散ってしまう状態です。事実始めの“水へし”の段階では、崩れないように気を使いながら赤らめて潰す作業を行います。明治時代に至る迄鍛冶屋はこの方法であり主力でした。

靖国タタラ製法に付いて

明治に中断したタタラが昭和8年島根県横田町にて蘇ったのが靖国タタラです。軍需品としての日本刀製作が目的でした。造られた玉鋼は、東京の靖国神社に送られ、5つの鍛錬所で終戦までに約8000振の日本刀を造ったと言います。それ以降の操業は行われていません。昭和40年には、当時造られた玉鋼の残りが全て無くなり、昭和50年の10月に開設したのが現在の『日刀保たたら』であります。

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