職人の住む町
HOME 名工会の主旨 名工会の概要 職人の町一覧 職人技市 日本の技博物館 応援団 検索

大正生まれの現役の鋏鍛冶職人。現在もより良い鋏の工夫をしている。口だけではなく様々な実用新案や特許を持っている。お邪魔させて頂いた時、何を頼まれても常に考え続けていると奥さんが言っていた。考え続ける事がもの作りとして最も大切な事と言う。
ひらめきはこれ無しにあり得ないと親方は言った。特に大切な事は切れ味と使いやすさである。特殊な一部の鋏と剪定鋏以外の卸しはしない。外に出せば最高水準の鋏にランクされる物と考える。口コミだけで販売し、どこにいっても買えない鋏である。木鋏と金切り鋏を作っている。
使ってみたが太い木が何の抵抗もなくスパット簡単に切れる。特殊な鋏で、厨房などに使われるステンレスを曲げて4枚重ねた板が簡単にきれる。曲線をきる金切り鋏は今迄見た事もない形をしていた。親方が考えたオリジナルで実用新案である。全く無理なく左右の波線が紙をきるように切断されていく。植木屋の職人が腱鞘炎で手が動かなくなったとき、親方の鋏に変えてぴたっと治ってしまったという。若い頃はへら鮒釣りに興じて家庭そっちのけ、釣りをしながら鋏の事を考えるのが一番よかったと言う。今でこそ釣りは辞めたが考え続けることはやめない挑戦する江戸の鋏職人である。
息子さんもこの道30数年、二人で“野崎の鋏”を育てている。


  親方の先代が昭和28年に東京に出て来ました。もともとは三条の鍛冶屋です。三条は、昔から大量発注が来る土地で、一つの仕事に皆でかかると言った事がよくあり、専門的な形の鍛冶職人はあまりなかったような気がします。鋏は東京に出てきてから先代が始めました。10代の頃には中心となって働かざるを得ない状況に立たされ、17年には出征しました。終戦はベトナム、戦地では鍛冶の技が生きて藁きり等色々と作りました。現在の場所は昭和24年からですが、その前は日暮里にいました。終戦で戻ってみると焼け野原でした。
  切れ味については、絶対に負けない程研究しました。切れ味とは、物によって刃の調子はどうあるべきかなど、色々と実験しました。例えばある程度の厚いベニア板を子供でも簡単に切れる鋏、のこぎりで切っていたフランジ部分の4枚重ねのステンレス板をこれを簡単に切る鋏、曲線が自在に切れる鋏など、人と違うことに挑戦し、色々と切る事の不思議を研究してきました。
 
  使って満足してもらえる鋏
  息子が継いでくれています。吉之(よしゆき)5代目となります。大変な道ですが頑張ってもらいたいと考えています。

 

職人名 野崎吉之助(のざき きちのすけ)
職人区分  
雅号又は銘 光吉之
生年月日 大正11年3月26日
職種(種)
作品(アイテム) 植木鋏、盆栽鋏、剪定鋏、刈込み鋏等
技数(積)

次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間。
『切れる事』、使い良さ、切れ味、丈夫さなどを含む。

技の種類や工程
技は、考えることで幾らでも増えていく、知恵を付けていくことで、これは習って覚える事は出来ない。やって考える。学ぶ事で技の種類は職人によっても違ってくると思う。
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


Copyright (C) 2002 WAZA All Rights Reserved.