職人の住む町
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ついに江戸の彫刻師とも言うべき板彫りの親方登場である。
江戸の祭りも本来御輿ではなく山車が主流であった。大戦後の日本復興の祭りでは凄い数の山車が連なり、すさんだ気持ちを復興に向けて立ち上げるひとつのきっかけであったと言う。焼けてしまった山車もあったので本来より少なかったとはいえみごとなもので外人達は驚嘆したとある。因みに当時御輿を担げるのはお宮の関係者が主であった。
こうした山車の側面を飾るのが江戸板彫り彫刻師である。もちろん仏像などの立体彫りも出来なければ一人前とは言えない。板彫りは常に正面から鑿(のみ)を使う為、非常に多くの彫刻刀を使う。しかも形状も様々である。江戸当時は浮世絵職人と同様、彫刻師同士が流派を誇り、互いに粋がって競い合った。実に花形の職業であった。
特に立体の絵のような板彫りの達人は絵を描くことにもたけている。親方も例外ではなく絵も本物である。立体的な奥行きまで捉えながら見る職人の目で、それは確かなものである。その絵は靖国神社に飾られたと言う。それと競い合ってきた遺伝子の為せる技か、手さばきも早く、これも江戸彫刻師の特徴である。お客に見られながら3日間で等身大の恵比寿様を一気に彫り上げてしまう。多少無理でも頼まれたら出来ないというのも悔しいし、江戸彫刻師の張りを見せて受けてしまうということなのだろう。それと深川の富岡八幡の日本一大きい御輿の彫刻も親方である。長男の秀太氏は面打ちを得意とし、飾りではなく実際の能舞台で使われている本物を作っている。

  私は昭和31年 名工 飯島米山の許に弟子10数名の7番目の弟子として入りました。
  一般的な職人としての難しさは、先ずこれで生きていくことです。弟子を育てるシステムなどを見ても、例えばものづくり大学なども職人の観点から見れば、表面的なものばかりで根本的な問題は何も解決していないと思います。原料から従事する職人の世界もあり、仕組みから考えなおさなくてはだめであり、職人そのものを持続することさえ難しくなっていきます。
 
  熊野松風は米の飯”何度見ても飽きる事のない演目。同様の境地の作品を創る。
  彫刻だけでなく能面打ちとしても精進しています。

 

職人名 北澤一京(きたざわ いっきょう)
北沢秀太(きたざわ しゅうた)
雅号又は銘  
生年月日 昭和15年9月6日(一京)
昭和43年2月4日(秀太)
職種(種) 神仏木彫刻 江戸板彫師
作品(アイテム)  
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
木や道具については当然ながら、紙に書いた絵の奥行きが分かるようにならなくては彫れません。又期間が決められている仕事ですから時間との戦いです。
技の種類や工程
構想下書き・選別、墨付け・木取り・図付け・荒彫り・中彫り・仕上げ彫り・仕上げ、完成
現在の立場(役) 現役
次代 他  
   


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