職人の住む町
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凄いの一言。名工が共通に持つ積み重ねてきた人格など、言葉では言い尽くせない。従って大橋さんの言葉を羅列する事にした。
■ 建て具は、常に使いやすく合理性を持っている事と人に喜ばれることが必要です。
■ デザインはなかなか生まれません。常に考え続けることが大切です。そして切羽詰まった段階でふっと頭に浮かんできます。また不思議に夢の中でも浮かんでくることがあります。  
■ 組子の割り付け方法を常に考えていました。その頃、電卓が始めて販売されました。
これを使い最も適切な方法として1732方式(ヒトナミ)に気付きました。(氏は諸処の理由から小学校5年で中退、この方法も誰に教わるでもなく考え、後に工業試験所の方がそれはルートといって学問にあることです。と教えてくれた裏話がある。この割り付け方法は独自の考案で建具業界の革命的なものであった。)
■ 本は読んでいないが、苦しみ抜いて覚えたことが大切です。こうして覚えたことは即答えられます。 (勲五等瑞宝賞を初め内閣総理大臣などの最高の賞を総なめし、現代の名工としても選ばれている。)
■ 全てにおいて己を知ることが肝要です。技能者には技能者の道がある筈であり、背伸びしていたずらに理想に走るのではなく、優れた作品を作ろうと努力する事は偉大なことと思います。己を知って、その道を固める事も素晴しい生き方ではなかろうかと自問自答を繰り返しています。(本当の苦労人は、“苦労をどう切り抜けてきたかを楽しく語る。”苦労をしても何もしなかった人は“苦労だけを語る。”どちらも苦労人と言う。穏やかに語る大橋氏は正に前者であり己自身と歩いて来た道を見つめての語り口は波乱万丈を切り抜けて来たまぎれもない本物の名工である。)

  小学校5年生の時、優れた建具職人であった父とともにサハリンへ渡りました。学校に行けと叱られたが父より先に仕事場に入り職人の技を覚え、時には鉋や金づちを持って手伝い自然に仕事を覚えていきました。
昭和22年に秋田に戻った。父と共に建具屋の看板をかけた。3年後、近くの医師から襖に飾りの模様を入れてほしいとの話を頂き、組子細工を初めてやった。喜んでもらった。評判や噂を聞いた建具職人が、見に押し掛けた事で勉強しなければ恥ずかしいと組子を独学で始めた。自分の技術レベルがどの程度なのか不安で秋田市の建具職人に見てもらいに行った。その段階で素晴しい建具があったが内心自分の方が上ではないかと思った。
そこの主人が留守で後日是非会って話がしたいとのことで自信が付いた。
  今の立場と一職人として他の職人の真似が出来ない為、常に考えて独自性を追求している。
 
  己を知る。父と共に自然に覚えた技が活きていますが、師を持たなかった私は自分がやらなければと考える時、“師匠は自分自身の根性です。”と答えます。(自問自答の日々は根性があるかどうかで決まります。これは本当に戦っている人しか知り得ない内容があり、刹那刹那の自分との戦いこそ結果に繋がる道と考えます。
  預かり弟子を何人も抱え、「かかこ(妻子)にみじめな思いをさせたくないべ」と秋田訛りで励まし「理屈じゃない、やって覚えるしかないんじゃ」すでに30人が巣立っていった。

 

職人名 大橋利一(おおはし りいち)
雅号又は銘  
生年月日 昭和3年7月20日
職種(種) 組子細工
作品(アイテム) 建具、工芸品 他
技数(積)
弟子入りしてから手伝えるような状態になるまでの期間
技の種類や工程
現在の立場(役) 生涯現役
次代 他  
   


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