職人の住む町
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日本の樽の中で、最も力強く美しい樽が野田の醤油樽である。これは見た者の誰もがそう思うだろう。大正時代に1200名いた樽職人が、キッコーマンを中心として働いていた事を考えると、その勢いと伝統と、使われていた目的を色濃く残す用の美にドラマを感じる。
現在では野田の樽の親方は、僅かに2名となった。容器が新しい素材に取って変わっていく。市場が狭まっていき、販売するルートも無くなっていった。樽は趣向をこらし、考え得る様々な物に変化していった。
野田の樽の場合、樽の目的を常に残し、意識した変化であり、それを着実に完成させてきた。可愛らしい醤油差しなど、小さいながらも野田の和樽の形をとどめ、今さらながら樽の完成度を強く感じる。タガの大きさが良いし、タガに美しさや色気を感じるのも野田の樽が持っている特徴であろうか。親方の角樽にも気取った感じが無い。大正時代の伝承された技もあるが活きた樽の息づかいを感じる。玉の井親方の特徴である。
また、親方の作る樽太鼓は、長野オリンピックにも使われ、音の良さには定評が有る。しかし、樽を楽器にするとなると乾燥させなくてはならず、樽にとっては最も最悪な状態である。バラバラにならないよう、昔からタガを強く絞めて使った。日本で最も樽太鼓に相応しい樽は、野田の樽である事は丈夫さに於いても納得がいく。そして、それを現実化したことは素晴らしい事であり、もし、野田の樽が自ら語れたら、他の樽には俺の真似ができるか、と威張っているはずである。樽としての高い完成度と親方の腕がなくては出来ない貴重な存在である。
■ 歴史 明和2年(1765年)創業の醤油樽の系統持続。

  明治43年創業の3代目の自覚。樽屋の仕事は全て見習い、習得。「世間に出して笑われる作品を作るな。」が父の格言。怪我は気のゆるみと、血だらけでも仕事を休ませる事のない、頑固な指導。その為、刃物に恐怖心が湧くほど手先に集中。
醤油屋の樽納期10月〜12月は1日15時間、一ヶ月休みは4日だけという重労働。醤油の容器としての役目が終わって昭和40年以後は最後の樽職人としての意地で、民芸品など生きる道を探して四苦八苦、第二の人生として新技法を導入。是非は自分でも判らない。
  醤油樽の美は雑草の美。工芸品でない美しさを竹のタガに求めた形、秋田杉の赤身の良いものを使って、キッコーマン海外事業部の納品となった醤油差し。秋田杉の木目のゆるみを長野のサワラ材と抱合せて乾燥を防ぐ創作花器。醤油樽技法だから出来る樽太鼓の音の良さ。長野オリンピック閉会式フィナーレに採用されるまでの26年間の材質しらべと独自の秘技。
 
  伝統とは現代に必要なものを作る事。(その基本の技は200年の醤油樽が中心)毎日が人の喜ぶ華のある作品を作りたい。来る人もまた来る人も福の神。
  たった一人の弟子とも思う栃木市の荻原幹雄氏が伝統工芸展公募展に昨年入賞。
本当にうれしいが樽職人は工芸家ではないという心は忘れずにと思う。

 

職人名 玉ノ井芳雄(たまのい よしお)
職人区分  
雅号又は銘  
生年月日 大正15年3月15日
職種(種) 野田和樽
作品(アイテム) 醤油樽、角樽、太鼓等
技数(積)
次代、素人から始めて手伝えるような状態になるまでの期間
3年間。生まれた時から樽屋の子であり、小学校5年生(10才)頃より手伝い覚えた技ゆえに、全てが自然体で吸収したもの。
材料の選別は文化財保存会の先生の指導と手の感触による仕分け方。
技の種類や工程
伝統200年醤油樽技法に桶の技法を加味して、角樽などの酒器や化粧樽から民芸化したミニチュア樽、花器を創作。いつでも野田伝統の竹タガ、醤油樽技法そのままを作品に残す。
現在の立場(役)
次代 他  
   


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